2020年、文部科学省は、「主体的・対話的で深い学び」を推し進めようとしています。
 私たちもその趣旨に賛同。しかし、漢字教育の分野でそれをいかに実現していくのか、知恵や工夫が必要です。その時に、人間の発達過程に沿ったやり方が一番無理なく力を育むと感じています。
 
 さて、「主体的」という言葉ですが、主体が起きていなければ、実は主体的であることができません。主体的でなければ、対等な関係も難しいのです。

 赤ちゃんは、実は主体が起きています。自分の欲求を間違いなくつかんでいます。しかし人間界は複雑なので、様々なルールを育ちの過程で身に付けなければならず、親はしつけと称して、色々なこまごまとしたことを、多くは失敗を許さず、怒って命令してダメ出しをして、できたらほめて、養育しています。子どもは、それが理解できるだけの知力があるので親に従い、そのため子どもの主体が半分眠っているかもしれません。周囲の価値観に合わせ過ぎて自分を失い、かつ「できる」ことは大切ではあるのですが、それに焦点が当たり過ぎて、結果的に自己肯定感をきちんと持てないで育つ子どもが多いと考えられます。世界でも、若者の死因の第一位が自殺、という日本みたいな国は珍しいのです。

 そう考えるので、当研究会の教材は、子どもは知的な存在と捉えており、単に「漢字を覚えるのに効率的な教材を開発する」という観点に立っていません。実は子どもに漢字を覚えてもらう過程で、「子どもの主体を起こす」こと、そしてやる気を引き出すことも含みます。かつ、漢字を単体として教育するのでなく、言葉として実際に使えるようにすることも含みます。
そういうやり方を通して最終的には、自己肯定感をできるだけ身に付けて欲しいと願っています。家庭なら、親子の対等なコミュニケーションが開くことで、学校なら子ども同士の対等なコミュニケーションが開くことで、子どもは喜びを持って取り組み、その過程で「人と協力する社会性」を習得し、「自己肯定感」を育んでもらいたいと考えました。

 そのため、そのような教材開発をめざしました(現時点で5個の教材があります)。当研究会の方法を継続して頂ければ、結果的には、単に漢字が書けるだけではなく、言葉に対する深い理解と共に、漢字を言葉の一部として有用な形で使いこなせるようにもなるでしょう。(過去の結果から、そういう方向性が既に出ています)

〈補足〉
 学校において、当研究会の教材を、使用方法で説明しているように、子ども同士の関係に注目して取り組んで下さった場合は、いじめ対策にもなるものです。
 この教材は、クラスメートと一対一の関係で漢字の獲得をしていく過程を作りだし、クラスのそれぞれに受け止めてもらえる体験を生み出します。すると、褒められたりけなされたりする他者の基準に依拠せずに、自分の成長を自分でわかり、自分にそれなりに満足していくので、子どもが他者をいじめる必要性に駆られないからです。

 また、学校で、音読名人に代表されるような、または音訓カルタに代表されるような取り組みを通して、対等な一対一の関係性を経験した子ども同士がグループ学習をすると、本来的に目指すグループ学習を達成しやすくなります。
つまり、文科省の「主体的で、対話的な深い学び」というキャッチフレーズを実現することになるでしょう。

それは・・・対等な一対一の関係性の経験の不足があると、どうなるか?を考えるとわかると思います。
グループの中にリーダー的な子、あるいは力の強い子がいて、グループを引っ張ってしまい、一見するとグループとして結果を出してきたように見えるけれども、実は一部の子の力でそうなっただけで、他のメンバーは何も学んでいない、またはする気もない、となることがあります。つまりグループ学習はできていない、のです。
 本来グループ学習は、うまく行くと、メンバーが1人で学習を進める時よりも、それぞれの力の相乗効果で、メンバーひとりひとりのレベルが上がるのです。しかし、対等な一対一の関係が無ければ、意見を述べる子は一人か二人で、他の子は置いてけぼりとなり、見かけの結果だけが立派なグループ学習が起きてしまうのです。それは対人関係の基礎の所に、対等な一対一の関係性が築かれているかどうかにかかっています。