漢字の指導でなく、漢字の教育
 
  「漢字の指導」でなく「漢字の教育」だというのはなぜか?
 漢字をたくさん覚えさせるために、どういう指導法を取るか、ということが第一目的ではありません。
 「漢字を教える」ではなく、「漢字で何を伝えるか」、その子どもの人生に寄与することに力点があります。
一つ目は・・・
 【はじめに】で書いたように
<「実は子どもに漢字を覚えてもらう過程で、「子どもの主体を起こす」こと、そしてやる気を引き出すことも含みます。また、それを活かして自己肯定感をできるだけ身につけてほしいと願っています。>
という所に力点があります。従って、漢字をいくつ獲得したかという結果だけではなく、5つの教材の扱い方、プロセスがとても重要になるのです。
二つ目は・・・
 日本語の深い意味のある言葉の多くは漢字の熟語となっています。抽象的な概念もそうです。一方で、私達の思考は言語を使ってなされると言われています。推論も解釈も理解も理論構成も、すべて獲得言語を使ってなされるのだと言われているのです。しかも日本語は同音異義語が多く、相手の話した言葉の漢字を的確に思い浮かべることができなかったら、意味を取り損ねることがあるほどです。小学校3年生くらいから、そういう言葉で使用される漢字が増えてきます。うまく漢字を獲得できないでいると、長じて、深刻な学力不足を起こす可能性があります。深い思考を獲得できない可能性があります。つまり、漢字交じりの言葉が文脈の中でゲットでき使できるかできないかで、その人の人生が大きく変わる可能性があるのです。従って、単体としての漢字のゲットではなく、言語体系の中の生きた言葉として漢字も獲得してもらい、その人の人生がスムーズになることを願って、この教材は編まれているのです。指導という言葉より、もっと広く、教育という言葉を使う所以です。
 しかも、この読み優先の方法論は、漢字を多く覚えさせるために何回もひたすら書かせるよりも、エピソード記憶がきちんと働くため、漢字に対する抵抗を取り、ゲットできる漢字も増え、数年すれば学力の底力となります。