「井上ひさしの漢字教育論」

 井上ひさしが「夢想」というエッセイで漢字教育について、次のように述べています。
 

「御一新以来、この国の識者は、民衆には漢字はむずかしいと言いつづけてきました。たとえば明治六年(一八七三)、かの福沢諭吉先生は、『文字之教』の中で、〈(漢字は)二千力三千二テ沢山ナルベシ〉と唱えております。敗戦直後は、こんなややっこしい文字を使っているから戦さに負けたのだと主張する論者がたくさん現われて、日常で使う漢字を制限しようという風潮がいっそう強くなりました。
 また明治以来、この国の漢字教育は〈読み書き並行、読み書き不分離〉を金科玉条として進められてまいりました。つまり、読める漢字は書けなければならないという方針がそれであります。この方針が、わが国の学童諸君にどのような苦行を強いたか。
 学童諸君は『活字のように正確に書きなさい』と不可能な要求を突きっけられて、点画の長短、その方向、その曲直、つけるか、はなすか、はねるか、はらうかに神経を磨り減らしてきました。このような漢字教育は、漢字嫌いをふやすことに役立つただけではなかったでしょうか。
 最近の電子機器の発達は、右の〈読み書き不分離の原則〉がまったくの理想主義であったことを証明しております。ワープロソフトや携帯電話機を用いれば、『読めさえすれば書ける』ようになりました。もっと正確には、日本語でモノを書こうと思えば、その読み通りにキーを打てばよい。いわば日本語は、読む、書く、そして打つの、これまで想像もしなかった次元に突入した。すなわち読み書き分離の時代に入ったのです。
 そんな時代に、日常で使う漢字の範囲を定めることになんの意味があるでしょうか。これまでの、読める漢字は書けなければならないというやり方は破産したのです。とするならば、これからの漢字教育は。
 一、日本国憲法で使われている漢字、六百三十字の偏旁冠脚(漢字の構成部分)280を徹底して教えて、それを通して漢字の骨組みそのものを体得させ、
 二、日本語で書かれた作品(日本語のリズムのおもしろさや心地よさを盛ったもの、日本語の明快さをよく発揮したものなど)を暗唱朗読させて、日本語の発音を教えながら漢字の機能を感じ取らせ、
 三、国語辞典の使い方を丁寧に教え、
 四、そして役所や裁判所の公文書や新聞雑誌では振り仮名を多用する。なんとなれば、〈振り仮名というものは漢字教育において常に傍らにいる教師〉(原田種成編『漢字小百科辞典』三省堂)だからです。
 つまり私の結論はこうであります。読める漢字は打って書けるという時代がきた以上、もはや誰かが漢字の使用範囲を示すことは無意昧でありますから、私はこの小委員会が招集された目的を、たとえば、漢字の骨組みをおもしろく教える読本をどうすれば作れるかといった方向へ転換されることを希望いたします」